吉村家から始まった「家系ラーメンの歴史」
家系ラーメンのはじまり
今や全国区の人気を誇り、醤油・塩・味噌・豚骨など従来からのラーメンに加え、新しいジャンルとして確立された感もある「家系」。横浜発祥・総本山が「吉村家」というのは有名ですが、その後どの様にして「家系」は全国に拡がっていったのか、50年前を振返り整理しました。
- 1974年、当時トラック運転手だった吉村実氏が、杉田の産業通り沿いに「吉村家」一号店を開業。このプレハブ風の店舗が、その後1,000店を超えて「家系」という新しいジャンルをラーメン界に根付かせる総本山となります。
- 1986年、吉村家の2号店として「本牧家」を開店。その後、吉村実氏の愛弟子で本牧家店長だった神藤隆氏が独立、「本牧家」は「吉村家」と袂を分かつこととなります。
- 1988年、神藤氏は「本牧家」から派生した独立店舗として「六角家」を開業。その際に他の弟子達と共に「本牧家」を辞めたため、吉村氏が立腹し仲違いしたという逸話があるようです。
1990年代から2000年頃まで、 「吉村家」・「本牧家」・「六角家」の三店は、家系黎明期の「御三家」として、濃厚な豚骨醤油スープ+歯応えある太麺+ほうれん草・チャーシュー・海苔という、今の「家系ラーメン」を形作った横浜の大人気店として名を馳せました。
吉村家・直系の証「免許皆伝」
吉村家代表である吉村氏は、吉村家認定の直系店に「免許皆伝」を授けています。
これまでに「免許皆伝」を受けられたのは、
杉田家/はじめ家/厚木家/高松家/上越家
末廣家/内田家/環2家/王道家/まつり家/横横家
数ある店舗の中でも約10店舗ほど。
その中で、2024年10月現在も「直営」となっているのは以下5店舗のみで、「免許皆伝」のハードルがいかに高いか分かります。また、直営店のエリアが幅広いのも印象的で、弟子入り希望の方が全国から集まってきているのは、やはり全国に名を轟かせたラーメン店の「総本山」であるが故でしょうか。
- 杉田家(一番弟子・津村氏の直営一号)
- はじめ家(富山県魚津市)
- 厚木家(吉村氏のご子息による人気店)
- 高松家(香川県高松市)
- 上越家(新潟県上越市)
その他の店舗について、真偽のほどは分かりませんが…、営利目的に走り過ぎ・ラーメンに対する姿勢・女性問題等により、「免許皆伝」を解かれて破門となった店もあるようです。ラーメンへの拘りをストイックなまでに貫き通す「職人魂」こそが、総本山「吉村家」のプライドであり、頂点であり続ける所以かもしれません。
六角家のその後は?
ルーツである「吉村家」のもとを離れ、独立路線を歩んだ「六角家」。創業者である神藤氏は、吉村氏とは異なるアプローチでラーメン界に爪痕を残してきました。ラーメン博物館への出店で知名度を上げた後は、全国に約10店舗を出店。
全国から弟子が集まってきた「吉村家」に対し、全国へ積極的に働きかけていくアプローチ、今の「家系」というジャンルが全国に広まった最初のきっかけは「六角家」が創ったと言えるかもしれません。
その後、神藤氏が体調を崩されたため、2017年に本店を閉店。2020年に破産手続、 2022年には神藤氏がご逝去され、長く続いた「六角家」の歴史は一旦幕を下ろしましたが、現在は、神藤氏の弟が別経営で「六角家」を運営され、暖簾のバトンを繋いでいます。
現在の「家系」四大派閥
諸説ありますが、一般的に、現在の家系ラーメンは以下四つの派に大別されているようです。
- 直系(吉村家)
吉村家の「免許皆伝」を得た、文字通り直弟子にあたる直接の血を引いた系譜。 - クラシック系(六角家)
親の吉村家と袂を分かった「本牧家」の流れを汲む、家系草創期から繋がる系譜。 - 壱系(壱六家)※旧磯子本店
資本系とも言われ、多店舗展開中の壱角家・魂心家・町田商店等に代表される系譜。 - 武系(武蔵家)※中野本店
クラシック系譜の名店「たかさご家」の流れを汲む、東京が発信元となった系譜。