日本のシネマコンプレックス、いつから広まった?

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シネマコンプレックス(シネコン)とは?

現在では、映画を観に行くといえば、複数のスクリーンが集まった大型のシネマコンプレックス(いわゆるシネコン)が当たり前になっています。主なところでは「TOHOシネマズ」や「MOVIX」など、映画館に行ってから何を観るか迷うのも楽しいくらい様々な作品が断続的に上映されていて、待ち時間には作品関連グッズの売店をのぞいたり、スナックの売店カウンターで映画のお供を購入したり、広々したロビーでのんびり待つのもありだし・・・、映画館に着いた時から上映後まですべて含めて楽しめるエンターテインメント施設になっています。


日本のシネコンはいつから?

しかし、今の様な「シネコン」は比較的新しく、以前は映画館というと1スクリーンが基本でした。日本における「シネコン」の始まりは、1984年にオープンした「キネカ大森(東京都品川区)」と言われていますが、スクリーンは3つと、今の「シネコン」と比べるとかなり小規模で集客もさほど芳しくなかったようです。

日本で流行&市場拡大の先鞭をつけたのは、1993年神奈川県海老名市にオープンした「ワーナーマイカルシネマズ(現イオンシネマ)」で、7つのスクリーンを有し、今のシネコンのスタイルを形作った…まさに日本映画館史におけるマイルストンとなる出店でした。シネコンの厳格な定義はないものの、通産省のレポートによると「6以上のスクリーンを有する」との記載もあるので、日本における本当の意味での「シネコン」誕生といえるでしょう。それ以後、都市圏を中心に増加を続け、2022年3月時点では、イオンシネマ=95ヵ所・TOHOシネマズ=70ヵ所・ユナイテッドシネマ=40ヵ所、と日本にもすっかり浸透した感じですね。


シネコンについて思うこと・・

20代の時に仕事でグアムに赴任しましたが、現地での休日の楽しみの一つが映画でした。当時の日本とは違い、派手な建物に複数のスクリーン、バケツの様なポップコーンにバターをかけてもらい、そいつを小脇に抱えて特大のコーラを飲みながら映画を観る…、当時はそんな「シネコン」にアメリカっぽさを感じました。エンターテインメント王国アメリカで培われた「映画」という文化、それをどう運用(集客・上映)するかという点もやはりアメリカっぽさなんだろうなと。

そして今では、そんな「シネコン」が日本でも当たり前のものに。映画鑑賞の環境としては、本当に恵まれていると思います。逆に、「シネコン」が普及しきった今だからこそ、昔ながらの1スクリーンの枯れた映画館に魅力を感じたりもします。明るいイベントへの参加というより、本当に観たい映画を求めて街角の薄暗い映画館の扉を開けるちょっと背徳感も滲むあの感じ…、その様な映画館も少数ながら残っていて欲しいと思います。